起業編 第6話「密会(後編)」

阿部洋次取締役は、決して酒が強いほうではない。

大井川秀樹が役員全員を連れ、お忍びで主催する銀座の高級クラブの役員の懇親会で、大井川を前に、阿部がホステスの肩にもたれかかって、いびきをかいて爆睡したという、冷や汗もののレジェンドすら、水谷隼人執行役員は耳にしたことがあった。

そのため、酒席で仕事の話をする場合、阿部は、酒が回らないうちに、用件を早々に切り出す癖があった。

しかし、今日は何故か、違った。

阿部は、本題を避けるように、1時間ほど、世間話を続けた。
阿部自身は、殆ど酒杯に手を伸ばさず、水谷の酒杯に盛んに酒を注ぐ。

料理が鍋に進み、若い和服姿の中居が鍋の支度を終えて下がると、阿部は、水谷の酔いの程度を探るように水谷を見据え、そして居住まいを直した。

それまでの目線とは違った鋭い視線を水谷に向け、声を落とした。

「水谷さん、ところで・・・。

この間、無理言って面接をして貰った山之辺君の件。彼の話なんだけどね。」

水谷は、少々面食らった。

ここまで時間をかけて阿部が切り出した話題が、バリューフェスの最重要な経営問題ではなかったからだ。

「はい。阿部取締役の強いご推薦だけあって、流石にすごい人材だと思いました。」

阿部は、少し赤くなった水谷の目をまっすぐ見据えた。

「水谷さんの面談の報告書は読んだよ。
流石に、水谷さんだけあって、詳細に山之辺君を分析してあった。
ところで、どこが、水谷さんから観て、一番、山之辺君が凄かった?」

水谷は、腕を組み、阿部の後ろの床の間の掛け軸の上部に視線を移した。

「彼は、営業力も非常にあると思いましたが、私が感じた凄さは、その意志の力ですね。

仕事にかける執念というか、気力が半端でない。
それでいて、いたずらに肩に力が入っていない。バランスがとれていると思いました。

詳細に話を聞き取ってみると、彼の営業行動は、極めて戦略的です。

孫子に言う、
その疾きこと風の如く、
静かなるとこと林の如く、
侵略すること火の如く、
動かざること山の如し、
とある、まさにそんな戦略性とバランス感を彼の全体から感じました。

あの若さにして。

尋常な人物ではないでしょう。」

ここまで水谷は答え、視線を阿部の目に移し、そして、尋ねた。

「でも、阿部取締役。
バリューフェス・キャリアでは、彼を、私よりも先に、住宅業界の美月林業の人事取締役に、面接を設定したんでしょ?彼を、人材として、美月林業に紹介するのではないのですか?
私は、阿部取締役に会ってくれとご命令いただいたので会いましたが・・・。」

水谷の少し不満そうな表情を素早く読み取り、阿部は、相好を崩した。

「いやいや。水谷さんには、詳しいことを話さずに会ってもらっちゃって、申し訳ない。

勿論、面接後、美月林業からは、猛烈なラブコールが来ていて、彼を絶対に採用させてほしいと言ってきている。年俸は、彼の要求通りに出すし、ウチの成功報酬を、通常の年俸の30%という基準に、10%を上乗せして払ってもよい、とも言ってきているんだ。」

安部の相好を崩した目にきらりと火が灯った。
そして、あたかもいたずら好きの少年のような表情で続けた。

「でもね。
美月林業の神崎人事部長に会わせたのは、山之辺君のいた業界の、人事のプロに、彼が本物かを見極めさせるためさ。

僕はね、もともと、山之辺君を、数百万ぽっちの成功報酬で、見ず知らずの会社の営業マンにくれてやる気はなかったんだよ。」

水谷は、阿部の真意を測りかねていた。

山之辺伸弥をバリューフェスの戦力に着けたいと阿部が考えているところまでは、わかる。

しかし、まさか、支店の営業としてトップセールスを狙わせるというために、阿部がここまでの策を弄するはずはなかった。

「実は、水谷さん。初めて話すんだが・・・。」

阿部は切り出した。

「今、大井川社長と内密に検討している件がある。

大井川社長は、常々、BtoBの通信機器の総合商社として発展してきたバリューフェスを、企業の総合的な課題を解決するコンサルティングカンパニーに進化させたいと考えておられる。

ただ、この路線は、通信機器販売のバリューフェス一本で、実績を積んできた坂田副社長では実行できないと大井川社長は読んでいる。

坂田さんは、営業力はあり、販売力も、組織掌握力もある。しかし、其れが仇となり、彼には、未来のバリューフェスの進路が、今の事業の延長線上でしか把握できていない。バリューフェスに新卒で入ってきた彼は、他を知らない。

僕はね、水谷さん。これまで、坂田さんには、随分、水を開けられてきたと、社内では噂をされていることはよく知っている。

しかし、ね。僕は、坂田さんが得意な分野で、坂田さんと喧嘩をしようなどとは思っていないんだ。

僕には、僕の道がある。

それが、大井川社長が抱く、バリューフェスの総合コンサルティングカンパニー進化論だ。

バリューフェスを、モノ売り会社から、コト売り会社へと進化させる道だ。

でね、水谷さん。
この路線を実行するための、組織を、大井川社長直轄のコンサルティングデビジョンとして、本社に創る。

僕が、デビジョンヘッドとして、取締役事業部長に就く。
水谷さん、あなたには、今の営業システム部長から、このデビジョンの執行役員副事業部長として異動してもらいたい。

水谷さんには、特に、海外進出支援コンサルティングの分野に責任を持ってもらいたいんだ。

そして、ここに、山之辺伸弥君をいれる。

水谷さんの直下で、山之辺君を国際人の経営コンサルタントとして鍛えてほしい。」

阿部は、ここまで一気に語り、水谷の反応を待った。

「コンサルティングですか。

確かに、これまでのバリューフェスの持つ顧客に対するシナジーあるサービスとして、高い利益率を追求するには、コンサルは有望ですね。そして、その中でも、中小企業のグローバリゼーションを推進するための、海外進出支援コンサル分野は、私も、力が発揮出来そうです。面白いですね。

ただ、それだけであれば、何故、山之辺君を
私の下に入れるのですか?

社内から異動させれば、他にも適材はいくらでもいると思いますが・・・。」

阿部は、右手の人刺し指を立て、片目をつむって見せた。

「まだ一つ、言ってない隠し玉がある。

大井川社長の一人息子、茂君を、この時点でバリューフェスに入社させ、山之辺君の下につける。
大井川社長が、山之辺君の経歴や、水谷さんの面接報告を見て、それで、茂君のバリューフェス入社を了承した。」

「え??」

水谷は、座椅子から上半身を乗り出した。

大井川秀樹は、バリューフェスを創業し、一部上場企業にまで、一代で育てた創業社長だ。それ故、バリューフェスの最大大株主でもある。

大井川茂は、その一人息子だった。桂城大学卒業の後、通信最大手企業に入社していた。その去就は、バリューフェスの役員陣の大きな関心事でもある。

大井川の後継として、坂田と阿部が競っていると言っていても、大井川の一人息子が、バリューフェスに入社するということであれば、これは、未来の最大の社長候補者となるだろう。

但し、茂は、まだ若干24歳の青年だった。

大井川も、これまで、茂は、外の企業でしばらく修行をさせるよと、公言してきていた。

阿部は、山之辺の経歴と実績、そして、美月林業の神崎人事部長と、バリューフェスの水谷の面接結果を大井川に見せ、山之辺なら、大井川茂の先輩として、茂の指南役にこの上ない人物と提案したに違いない。

他社で修行させるより、今、バリューフェスに入社させる好機だ、と。

バリューフェスの将来を担う、新たな事業部の創設、阿部と水谷という出来筋の事業部長の配置、山之辺の入社。そして、企業のグローバル化支援という、ステージ。

これだけの材料を揃え、阿部は、大井川に、一人息子を自社に入社させ、阿部にその育成を預ける決意をさせたというわけか!

こうなれば、大井川とすれば、当然、ゆくゆくは我が息子にバリューフェスを・・・と、考えるだろう。その息子の茂を、坂田ではなく、阿部が指南役となるということ、か・・・。

これは、坂田副社長に対する、阿部洋次取締役の猛烈な反撃ではないか?

水谷は、はじめて、阿部の野望に自らが組み込まれていることに気づいた。

回った酔いが、一気に醒めるのを感じる。


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