第10話「陰謀」

表参道のインテリジェンスビルに入る、株式会社バリューフェス本社。

その奥には、大井川秀樹の使う社長室と並んで、それより少し狭い副社長室が鎮座する。

副社長の坂田将は、大阪出張に出かける前に、社用車を待たせて、総務部長の加藤仁一を、副社長室に呼んだ。

加藤は神経質そうな小さい顔に、細い眼鏡をかけていた。そして、加藤とは対照的に、頑丈な体格をして、どっしりと深く役員席に座っている坂田に対し、机の前に直立不動の姿勢で立ちながら、業務報告を行った。

加藤は、坂田の腹心の部長である。総務部は、人事・経理・財務・IR・法務の、すべての管理部門の領域の業務をカバーしていた。加藤は、その意味で、バリューフェスの頭脳の機能を担当していた。

比較的、部下に女性社員が多い、加藤の部門の中では、加藤は、常に、部下の女性社員に対して、威圧的で権力的な態度で管理を行っている。しかし、その態度は、加藤の人間性の薄さと、自分の自信のなさを部下に見透かされないための自己顕示の、現れでもあった。

しかし、体育会系的な、飴と鞭で人心を掌握する技術に長けた坂田の前では、加藤は常におどおどと、顔色を見ながら仕事を進めるのであった。

この日、加藤は、坂田に、一通り報告を終えると、いつものように坂田の顔色をうかがってから、昨日の部長会議の話題を坂田に切り出した。

「副社長。

昨日の阿部取締役から起案があった、海外進出コンサルタント部門創設に関する件ですが。副社長は、何故、一切、ご意見をおっしゃらずに、案件を阿部取締役のご提案通りに、通過させたのですか?坂田副社長には、いろいろと、ご意見がおありではなかったのですか?」

坂田は、眉間に皺を寄せて加藤を一瞥すると、加藤に言い放った。

「何故、俺が、『意見がおあり』なんだ?

意見なんか別にない。大井川社長が、肝いりで、息子の茂くんを、我がバリューフェスに入社させ、阿部取締役の立ち上げる海外進出コンサルティング部に入れると言われている。ここに、俺が異論を挟むことなど、したくない。

阿部取締役の、お手並みを、俺は黙って拝見するだけだ。」

加藤は、何かを言いかけたが、坂田に止められた。

「俺は、今から、大阪に向かう。大阪支社の会議の時間が決まっているんだ。」

加藤は「申し訳ございません」と頭を下げ、副社長室から、そそくさと退散した。

坂田は、秘書を呼び、新幹線チケットを受け取ると、小走りで地下の駐車場に向かい、そのまま社用車が止まる、車寄せに立った。運転手が、慌てて、後部座席のドアをあける。

車は、品川駅に向かって走り出した。

坂田は、車窓に目を向けながら、加藤の口にした「ご意見がおあり」という言葉を思い返していた。

加藤が言いたかったことは、よくわかっていた。

阿部は、大井川の念願であったバリューフェスのグローバル事業に名乗りをあげ、坂田に対して、大井川の直命の新規事業で向こうを張ろうとしている。

阿部自身が外資系から引き抜いた、水谷という非常に有能な参謀を部下につけた。そして、何やら、住宅メーカーから来たという、山之辺とかいう人材を引き抜き、これを戦力のトップにし、その下に大井川茂をつけるという筋書きで、大井川を納得させたのだ。

阿部は、一切、取締役会にもかけず、大井川との直接交渉だけで、この計画を実行に移そうとしたのだ。

坂田は、この阿部の動きを、総務部長の加藤の告げ口で知った。

阿部が、山之辺を入社させるにあたり、どうしても、総務部には、年俸報酬額の調整をしなければならなかったからだ。

加藤は、この動きを坂田に告げ、坂田の指示を仰いだ。

「メインバンクの紹介や、有力者のコネなどならいざ知らず、住宅メーカーという異業種からきたなどという、どこの馬の骨ともしらん奴に、1000万円以上の年俸条件など、出せるはずがない。

美月林業が、3000万円だすというなら、美月林業に紹介して、紹介料を稼げばいいじゃねえかよ。

ウチでは、出せて、限度800万円だ。そう阿部に言え!」

坂田は、こう、加藤に裏側で指示を出した。

阿部は、強硬に1000万円以上の年俸条件を認めろと、加藤に食い下がったが、加藤は、頑として、これを認めなかった。

交渉力では、バリューフェスで最も実力のある阿部が交渉すれば、普通、加藤は、とても、自力で自説を通すことなど、できない。

その加藤の、山之辺の年俸条件を譲らなかった、いつになく強気の態度を観て、阿部は、坂田が加藤に圧力をかけたことに気づいただろう。

阿部は、それで一旦、引いたのだ。

坂田は、これで、山之辺とかいう人材の獲得を、阿部が失敗すると読んだ。

不動産や建設などの業界にいるトップセールスマンなど、どうせ、カネしか、念頭にはないだろう。バリューフェスの条件が悪ければ、山之辺などという、坂田にとって、邪魔な人材は、とっとと、美月林業にいってしまうに違いないと、坂田は考えた。

しかし、阿部は、どういう交渉術を使ったのか、この山之辺という漢を、800万円で、自分の部下に獲得してしまったのだ。

大井川は、非常に喜んだという。

「年俸3000万円の天下の美月林業を蹴って、我がバリューフェスに、800万円でくるとは、非常に骨のある奴だ!
素晴らしい。
茂の教育役としては、最適だ。」

こう言って、阿部が連れてきた山之辺に会ったという。

こうして、阿部の事業計画のパズルのピースは、坂田の予想に反して、埋まってしまった。

大井川は、このプランを取締役会の議にかけずに、直接、昨日の部長会議で阿部に報告させ、既成事実を作ってしまったのだった。

そして、新規事業予算として、大井川自身の事業予算から、1億円をあて、阿部に与えたのである。

取締役会を抜いたのは、明らかに、大井川が、坂田に反対の意見を言わせないための筋書きだったと、坂田は理解した。

バリューフェスでは、坂田副社長の権力が、次第に阿部を圧倒しはじめていた。社内の部長クラス以上の人材の殆どが、次期社長は、坂田だと確信し、誰も、坂田に反対できるものがいなくなりつつあった。

しかし、それは、バリューフェスをゼロから創業して、これまでにした大井川にとって、あまり面白いことではなかった。坂田が社長になり、自分は会長職にお飾りのように置かれることは、70歳を超えながらもエネルギーに満ち溢れた大井川には、不都合だった。

坂田と阿部という、自分の腹心2名を競わせ、力を均衡させておくことが、大井川にとって、得策であったのだ。

バリューフェスの最大株主である、自分の一人息子を阿部に与えることで、次期社長は、坂田に間違いない、という社内の雰囲気に対し、これをけん制する狙いが大井川にあったはずだと、坂田は読んだ。

従って、昨日の部長会議で、加藤が言うように、坂田が阿部の提案に異議の発言をすれば、それは、阿部にではなく、大井川に、自分に対する不信感を抱かせてしまうことになる。

これが、坂田が部長会議で、一切の異議をさしはさまなかった理由であった。

坂田は、車の後部座席で、スマートフォンを取り出すと、総務部財務課の課長に直接、電話をかけた。

「君に、やってもらいたいことがある。

阿部取締役が責任者で立ち上がる、海外進出コンサルタント部門の予算管理についてだ。

今後、この部署の単体売上と、販管費の状態を、毎月、俺に、直接、報告をしてほしい。
この部署を単体で、カネの出入りを管理したいんだ。

よろしく。」

こう坂田は指示をして、電話を切った。

事業部の立ち上げでは、社長である大井川が自分の管理予算から特別に新規事業部門の資金を、1億円出した。これには、副社長の坂田は、何ら異論を申し出ることができない。

しかし、それは、特別な話だ。

事業が開始され、この初期のイニシャル資金が底をつき、これを超える資金を使用する場合、財務部の手続きを通した正式な承認手続きが必要となる。

当然、この時は、坂田副社長の賛同がなければ、予算は執行できない。

坂田は、この時点で、阿部のプロジェクトを予算執行不能で、潰すつもりであった。

海外事業は、旅費出張費などのコストや、人件費が費用にかかる。阿部の事業自体も、ゼロからのスタートであるから、当然、そう簡単には、売上げはあがらないだろう。

阿部の手持ちの1億円の資金が切れる段階で、売上げの未達を理由に、部門を潰し、阿部の責任を追及して、取締役から追い落とす、というのが、坂田の筋書きだった。

企業では、戦略を実行に移すには、カネが必要だ。カネがなければ、どんなに優れた人材がいても、動けなくなる。

坂田は、これまでも、このような予算のパイプを途中で締めるという方法で、坂田と並ぼうとするライバルたちの事業を止め、責任を追及して、追い落とすことで、今の支配的なバリューフェスでの地位を築いてきた。

このような中で、今や、バリューフェスでは、阿部を除いて、誰も、坂田に対抗できる人材がいなくなったのだ。

実力があり、自分の将来にライバルとして立ちはだかる人材を、新規事業部門に追いやり、資金投資の最中で、資金供給を止め、業績の未達を理由に、その人材を追い落とすのは、大企業の「役員政治」の基本である。

これまで、坂田が、何故、阿部だけをこの方法で、追い落とすことができなかったのか。
それは、阿部が、坂田がバリューフェスに入社した時の、直属の上司の課長であったからである。

体育会系の倫理観を持っている坂田にとって、自分を育ててくれた阿部は、自分よりも下に立っても、これを最後まで追い落としにくかったのである。

そのため、阿部だけが、坂田と並びうる取締役に残ってしまったわけだ。

しかし、今度ばかりは、坂田も、そんなことを言っていられなかった。

阿部は、大井川の息子の茂を自分の下につけ、
山之辺とかいう、不気味な外部からの人材をいれて、自分の前に明確に立ちはだかったのである。

次は、容赦をしない。
坂田は、そう決めていた。

品川駅が近づいてきた。

車の進む方向にある、真っ黒な雲から、激しい雨が、今にも降り始めそうな気配がした。

その雲を、坂田は、うっすらと薄い笑いを浮かべながら、見つめていた。

「起業編」10話で完結いたしました。
次回より、「韓国クラウドビジネス編」がスタートいたします。
お楽しみに。

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