韓国クラウドビジネス編 第1話「スタートアップ」

表参道を歩くビジネスマンも、殆どがスーツ姿となり、固くネクタイを締める季節となっていた。

その表参道のインテリジェンスビルの最上階に入る、株式会社バリューフェスの本社。

既に、大井川社長が使用する社長室の入口に、新たな業務スペースが設けられ、真新しい机と椅子が配置されていた。

天井から下がった部署を示す掲示には、「社長室 コンサルティング・デビジョン」と記載されている。バリューフェス・キャリアから移動されてきた役員が使用する、阿部洋次の机の前には、2つの机の島が、今日からの稼働に備えて配備されている。

一つの島には、「経営コンサルティング・セクション」と看板に記載され、もう一つの島は、「海外進出コンサルティング・セクション」と表示されている。

「経営コンサルティング・セクション」の机に座っているのは、株式会社バリューフェスの各部署から、本日付けで異動してきた社員たち。旧知の彼らは、親しげに着任の挨拶をかわし、スターバックスから買ってきたコーヒーを片手に談笑をしていた。

一方、既に、「海外進出コンサルティング・セクション」の机には、誰も着席していない。

始業時間である9時の、2時間前の朝7時から、全員が出勤し、会議室に入って、早朝会議を開始していた。

バリューフェス本社には、受付エリア前に、10室の会議室が設置されている。

この会議室の一つに、「海外進出コンサルティング・セクション」のメンバーは、今朝、集まっていた。

昨日付けで、株式会社バリューフェス・キャリアの代表取締役を退任し、本日付けで、「経営コンサルティング・デビジョン」取締役デビジョンヘッドに就任した、阿部洋次

同じく本日付けで、株式会社バリューフェス営業システム部長から、「海外進出コンサルティング・セクション」執行役員セクションリーダーに異動になった、水谷隼人

本日付けで、株式会社バリューフェスに入社し、「海外進出コンサルティング・セクション」課長に就任した山之辺伸弥

そして、同じく本日付けで、大手通信会社を退職して、バリューフェスに入社し、「海外進出コンサルティング・セクション」主任に着任した、大井川茂。大井川茂は、一部上場企業である株式会社バリューフェスを一代で築き上げ、その最大株主でもある大井川秀樹の、一人息子である。

そして、本年の新入社員としてバリューフェスに新卒で入社して半年の、森隆盛

阿部が、バリューフェス・キャリアから連れてきた、紅一点、溝口香里

計 6名が会議室の机を囲んでいた。

阿部は、朝7時に全員の出社を命じ、スタートアップ初日から、早朝会議を招集した。

「海外進出コンサルティング・セクション」は、大井川秀樹の自由にできる事業予算から1億円を捻出し、これをイニシャルの資金として立ち上げた。しかし、事業の資金としての、1億円など、簡単に使い果たしてしまうはずだ。阿部は、それをよくわかっていた。

現在のバリューフェスの取締役会は、大井川秀樹社長と阿部を除くすべての役員は、既に、坂田将副社長の意のままに動く傀儡である。阿部は十分、それを計算していた。

坂田は、これまで、阿部と時折、対立しても、阿部を潰すことはなかった。それは、坂田が、入社の時から、阿部の部下であり、自分が阿部に育ててもらったことに遠慮があったためである。

しかし、今、阿部は、大井川の一人息子の茂を預かり、次期、代表取締役社長のポストを射程に入れた坂田に、「待った」をかける存在として立ちはだかった。

坂田も、ここからは、阿部に対して容赦はしないはずだ。

このコンサルティング・デビジョン。とりわけ、海外進出コンサルティング・セクションの展開する商戦は、阿部の、バリューフェスでの役員ポストをかけた闘いになることを、阿部は承知したうえで、この戦争を坂田に仕掛けたのだ。

バリューフェスでは、坂田に潰されることを恐れ、阿部と、阿部が外資系大手のIGM社からヘッドハンティングした、水谷隼人執行役員以外、既に誰も坂田に反論できる者がいなくなっている。

阿部は、これ対して焦燥感を覚えた、大井川秀樹の意向を受けて、今回のコンサルティング・デビジョン事業の戦略を立案してきたのである。

だからこそ、阿部は、バリューフェスの幹部で、唯一、坂田を恐れない執行役員の水谷と、外部から引き抜いた山之辺を配置して、この戦いの将軍として配置したわけだ。

そうであるなら、リミットは、イニシャルの事業予算である1億円の尽きる時だ。

これがなくなれば、坂田は必ず、阿部の責任追及を取締役会で行い、今度こそ、阿部は、取締役を解任されるだろう。そうなれば、もう、バリューフェスは、坂田の独裁体制に落ちることになる。

従って、コンサルティング・デビジョン、とりわけ、海外進出コンサルティング・セクションの新規事業の成功は、阿部にとって、上場企業であるバリューフェスの中の、自らの未来をかけた闘いなのである。

従って、急がなければならない。何としても、海外事業に関する新規事業モデルをスピーディに構築し、収益をあげはじめなければならない。阿部には、時間がなかった。

阿部は、この状況を、水谷と山之辺をはじめとする全メンバーに、率直に初日の会議で語った。勿論、坂田と自分との確執には触れない。ただ、水谷には、よくその点も伝わっていたはずだ。

会議が終わりに近づいた頃、会議室のドアが、強くノックされた。

入ってきたのは、社長の大井川秀樹であった。

全員が、それを見て起立する。

にこやかな笑顔のすぐ下の、限りない攻撃性を隠し切れないのが、大井川秀樹だった。既に経済界に、大きな影響力を持っている大井川は、部屋に入ってくるだけで、周囲のあらゆるものを、帯電させる強い磁力を放つ人物だった。

その眼光に見据えられると、バリューフェスの社員の誰もが萎縮するほど、その眼は、強い力に満ちている。

この大井川秀樹に、真正面から意見を言えるのは、バリューフェスでは、坂田副社長と、阿部取締役だけであった。執行役員の水谷も、思わず、目を伏せた。

その大井川の眼を、山之辺伸弥は、しっかりと見返して、不敵な表情を浮かべている。

「みんな、初日の早朝から会議だって!
素晴らしい。さすがに、阿部取締役の選んだ精鋭部隊だ。
頑張ってくれよ。期待しているぞ。」

大井川は、バリトンの声でそう言うと、全員と、強いグリップで握手をし、会議室から出て行った。

「うわ!
大井川社長に、見つめられるだけで、怖いな。」

新人の森隆盛は、一人言を言いながら椅子に座った。

森隆盛は、この春、国立大学の教育学部を卒業した。学校の教師になんか、つまらんからなりたくないという理由で、バリューフェスに新卒で入社したのだ。

4月1日の入社式の日、全員が同じ黒のスーツで出社する新入社員の中で、ただ一人、グレーのスーツを着て、会社にやってきたという、異色の存在だった。

そして、新入社員の営業研修でも、圧倒的な営業実績をあげて、目立っていた。

それを、阿部が見込み、自分の部署に抜擢したのである。

会議が終わった。

山之辺伸弥は、部署に戻り、水谷に連れられて、本社の幹部たちに挨拶周りを済ませると、阿部の役員机の前に立った。

「阿部取締役。
これから、海外進出事業で役に立ちそうな、私の人脈に挨拶周りをはじめてもよろしいでしょうか?
色々と、ビジネスの種が生まれてくるのではないかと思うのですが。」

阿部は、笑った。

「勿論、OKだ。すぐに活動をはじめてほしい。よろしく。」

山之辺は、ホワイトボードに帰社時間を、21時と記入し、まだ談笑を続けている、経営コンサルティング・セクションの社員を一瞥し、本社から足早に出て行った。


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